ワールドジョイントクラブ » 紳士・淑女の休息 » 「あの地震で人生が一変した。ホームである東北の皆と生きる」-MONKEY MAJIK(アーティスト)

宮城県仙台を拠点に活動するMONKEY MAJIK
3.11を経験し真っ先に取り組んだことは
音楽ではなく復興への手助けだった
彼らは何を思いながら活動していたのか――
取材・文/高橋 満 撮影/尾形和美
温泉に行こうと仙台に
着いた瞬間、強い揺れが……

Blaise
ブレイズ

Maynard
メイナード
MONKEY MAJIKとしてはもちろん、ソロプロジェクトなど多岐にわたって活動する4人。「好きなことを仕事にしているから、どこからオフタイムなのか、はっきりしない生活を全員が10年以上続けている」(ディック)。それでもブレイズとメイナードは「カナダに帰る時は1ヵ月くらいまとめて休みを取るから、学生の夏休みのような気分になれる」という。また「最近は時間が空くとしばらく顔を見ていなかった友人と会って酒を飲む機会が増えました」(タックス)、「僕も朝までお酒を飲むのが好き」(ブレイズ)、「温泉が大好き。露天風呂でリラックスして、その後のビールが最高!」(メイナード)と、忙しい合間を縫って、思い思いの時間を過ごしているそうだ。
そんな4人の休息、音楽活動、そして人生を一変させたのが、東日本大震災だった。
3月11日、午後2時46分。その瞬間、メイナードはJR仙台駅近くのパーキングにいた。
「本来は遅くまで仕事の予定だったけれど、たまたま早く終わったので仙台の温泉に行こうと、東京から新幹線に乗ったんです。そうしたら仙台駅を出た瞬間に揺れはじめた。宮城県では何度か大きな地震を経験していたけれど、これはただごとではないと思いました」
すぐさまメンバーやスタッフに電話をかけたがつながらない。心当たりの場所を探し、なんとかブレイズやタックスと会うことができた。しかし自宅は壁も階段も崩れ、水も出ない。電気がこないため街は真っ暗。海沿いでは津波も発生したという話が聞こえてくる――。
「ライフラインが完全に寸断されたので、家にいても何もできない。配給をもらいに行っても乾パンがひとつだけで明日のぶんはないという。本当にすさまじい状況でした。でも周りにいるのもみんな被災者で、おばあさんなどは途方にくれている。困り果てた人たちのために何かできないか。自然にそう考えるようになりましたね」(メイナード)
ボランティアに必要なものは
笑顔でプロに徹する根性

DICK
ディック

tax
タックス
あらゆる情報が錯綜するなか、メイナードとブレイズは青森県八戸にボランティアセンターがオープンするという話を聞いた。愛車のガソリンはたまたま満タンだったので、迷わず八戸に向かい、震災から3日後には被災者をサポートしはじめたという。そして塩釜、石巻、多賀城など続々とボランティアセンターが開設されると、メンバーはそれぞれの場所で一般の人たちとボランティア活動を行った。
「動きが早かったねと言われるけれど、当事者としては特別なことをしていた意識はないですよ。あらゆるものが寸断され、情報を含め外部から何も入ってこない。でも目の前には津波ですべてを流され大変な思いをしている人がたくさんいる。だったらまずはそこをなんとかしないと」(タックス)
「ボランティアといっても、最初はみんな被災者だったから。気を遣っていたりショックを受けていたりで、ほとんど話をしませんでした。でも数週間経つと顔見知りも増えてきて、活動をとおして自信を持てるようになった。徐々にお互いが声をかけ合えるようなムードが生まれてきたんです。僕自身、ボランティアや被災者からどれだけ多くの力をもらったかわかりません」(メイナード)
「あの地震で自分たちの人生が一変した。ボランティア活動は朝7時スタート。以前なら朝まで飲んでいた自分が早起きするようになったんだから。最初は避難所に行くとあまりのむごさにショックを受けましたよ。でも『大変だ……』とばかり思っていると、そこにエネルギーを使ってしまい、肝心の活動ができなくなることに気がついたんです。それからは常にポジティブに、スマイルでいようと。『何でもやります。使ってください!』って大声を張り上げていましたね」(ブレイズ)
多くの人はボランティアにお手伝い=アマチュアというイメージを抱くかもしれない。しかしメイナードは活動を通じ、警察や自衛隊とは別の意味でプロフェッショナルに徹しなければいけないと感じたという。どれだけ大変でも辛い思いをしている人たちのために笑顔で尽くす。それが被災者に希望を届けることになるから。
震災当日、もしもメイナードが予定どおり仕事を行っていたら被災を免れることができた。しかしいまになって、あのタイミングで仙台にいられてよかったと心から思っているそうだ。ホームタウンでほかの人たちと辛い気持ちを共有できたこと。そして甚大な被害を受けた人が多数いるなかで、自分には命があり、ボランティアとして被災者を援助できることへの感謝も芽生えた。
未来を明るく照らす道標に
自分たちの曲をしていきたい
3月11日以降も続く余震や原発事故。政府、メディア、インターネット経由で入る海外からのニュース。何が真実なのかわからないなかで、多くの外国人が海外へと避難した。しかしメイナードとブレイズには祖国へ帰ろうという気持ちは一切起きなかったという。
「日本で本格的に生活をしていない外国人にとって、すぐに避難するのは正しい判断だったと思います。でも僕らにとって仙台はホームだし、目の前に助けなければならない人がたくさんいた。幸い身体も無事だったわけだし、コミュニティを復興させようという想いしかなかったですね」(メイナード)
「仮にふたりが帰国していたとしても、MONKEY MAJIKの活動には何の支障もなかったはずですよ。不透明な状況が解決したときにまた集まればいつでも音楽をできるから」(ディック)
震災から4ヵ月近く経った7月3日。4人は大阪で『SEND愛』と題したチャリティライブを行った。16年前の阪神・淡路大震災からの復興を果たした人たちに多くの勇気をもらうことができたという。そして必ず東北を復興させるという強い気持ちを持つことができた。10月16日には仙台で『SEND愛』を開催。
「自分たちのホームでライブをできたことは、本当に大きな意味があります」(タックス)
昨年ごろから曲作りにおいて、シンプルなメロディに言葉を乗せて大きな世界観を作り出していくことを意識するようになったという4人。最新シングル『Headlight』には、震災後に感じたことがストレートに詰まっている。
「曲のアイディアはブレイズが考えてきたのですが、想いの強さからか、その段階でほとんど完成している状態でしたよ。だからこそ自分たちの気持ちを整理するためにも、あえてしばらく寝かせることにしたんです」(ディック)
「曲名は、もともと“暗闇の中でクルマのヘッドライトが勢いよく自分たちの方に迫ってくるような危機感”を表したものでした。でも曲が仕上がっていくうちに、当初のイメージとは裏腹に、道先をガイドしてくれるヘッドライトだったり、未来を明るく照らしてくれる道標だったり……別のイメージが湧いてきました。フラストレーションを表現したはずなのに、結果的には前向きでホープフルな雰囲気が詰まっている。作っている自分たちにも、聴けば聴くほどいろいろな感情が湧いてくる曲になりましたね」(メイナード)
これから厳しい冬を迎える東北地方は、まだいたるところに震災の爪痕が残っていて多くの支援を必要としている状態だ。一方で徐々にではあるが、復興の兆しも出てきている。
「MONKEY MAJIKはこれからも仙台をホームにしながら活動を続け、東北の皆さんとともに生きていきますよ」(メイナード)


MONKEY MAJIK
アーティスト
メンバーはカナダ人兄弟のMaynard(Vo・G)とBlaise(Vo・G)、tax(Dr)、DICK(Ba)。2000年にバンド結成。インディーズ時代から各方面で話題になり、2006年1月にシングル『fly』でメジャーデビュー。2011年3月11日に起こった東日本大震災で自らも被災したが、懸命にボランティア活動に取り組む姿がマスコミで紹介され、日本中から称賛される。震災後は復興プロジェクト『SEND愛』を立ち上げ、7月に大阪、10月に宮城でチャリティライブを行った。
【Official HP】
MONKEY MAJIK Official Web Site