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「俺の旗のもとに俺は自由に生きる」。この言葉を胸に刻んでほしい-松本零士 2012.02.20


松本零士

少年時代に『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』を観て
宇宙を知り、男のあるべき姿を知った―
おそらく本誌読者にもこのような人は多数いるに違いない
私たちを夢中にさせた作品の数々にもつながる
少年時代と旅の思い出をたっぷり聞いた

取材・文/高橋 満 撮影/尾形和美

すでに少年時代に
波動砲のアイディアが

 漫画家を志す少年といえば、どこか大人しくて物静かなイメージがあるもの。しかし松本零士先生の少年時代は負けん気が強くてヤンチャ。かなりの“アバレガキ”だったそうだ。

「丹下左膳を気取って片目を隠しながらチャンバラをして塀から落ちたり、登った栗の木の枝が折れて“いが”の上に落ちたり……。とにかく生傷が絶えませんでした。スズメバチに追われたことも二度ありますよ。ハチノコを焼いて食べるとうまくてね。後先考えずにスズメバチの巣を襲ったら逆に追われてしまったんです。イチかバチかでハチめがけて石を投げたら運よく撃退することができました。そのときは本当に嬉しかったですね」

 ほかにもゴム銃や罠を駆使して周囲を驚かせるのは日常茶飯事。関門海峡を毎日泳ぎ、巌流島に渡ろうと九州側の海岸から飛び込んで貨物船の下をくぐったり、松本少年を叱った先生をビックリさせるために海でおぼれたふりをして長時間足元を旋回して潜り続け、先生を慌てさせたこともある。中学時代は席が番長の隣に。周りからは「可愛そうに」と同情されたが、本人はまったく気にしない。同級生は同級生、あくまで対等だと考えて話をしているうちに友情が芽生え、卒業前にはお互いの信念や志を語り合ったという。

「興味を持ったものにはとことんのめり込んでいました。それは学問でも同じです。幼少時代から生命の進化や宇宙に関心があり、小学5年生で学級文庫にあった『大宇宙の旅』(著・荒木俊馬=京都産業大学初代総長)を読み込んでいましたから。しまいにはこの本をどうしても手に入れたくて姉に買ってくれと頼みました。姉は『あなたの漫画が新聞に載ったら買ってあげる』と言ったのですが、なんと中学1年で毎日中学生新聞関西部本社版の学校紹介に私の漫画が掲載されたんですよ。姉にお金をもらって急いで古本屋に行ったのを覚えています」

 この本を何度も読み返しながら光の速度や重力、惑星の大きさや距離を覚えていった松本少年。波動エンジンや波動砲、空間転移(ワープ)のアイディアの原型は当時すでに出来上がっていたというから驚きだ。


アフリカの大地を前にして
達した“悟り”の境地

 ヤンチャで探究心が旺盛なのは、松本先生の気質なのだろう。探検や大航海への憧れが強かったこともあり、大人になってからは旅にその傾向が現れた。これまで数多くの場所を訪れたが、とくに思い出深いのは東アフリカのケニアを旅したときのことだという。

「あれは38歳のときです。テレビで放映された『宇宙戦艦ヤマト』の視聴率が悪くて、36話作る予定だったものが26話で打ち切りになってしまってね。漫画誌の連載でも首が飛んだりするし、なにかにつけて人気の話ばかり。そんな世界に嫌気がさして新しく始まる『銀河鉄道999』の連載を10話分一気に描き上げ、仲間と飛行機に飛び乗りました。旅はインドのムンバイ経由だったのですが、インド洋の上空で界雷(かいらい)に遭遇したんです。インド洋は雷が名物でね。船のマストに落ちると火事になるので、大航海時代はここを突破するのが最大の難所だったそうです。当時の冒険家が勇敢に挑んだ自然の猛威を私は飛行機から眺めていた。雲が順番に光る光景はとても幻想的でしたよ。ケニアではライフルを肩に担いで草原を歩いていました。このときはまだワシントン条約が結ばれる前。ケニア政府から自分の生命が危機に陥ったら撃ってもいいと言われたんです。私はライオンでも象でもサイでも見つけたら決闘する覚悟でしたがダメでした(笑)」

 滞在中、松本先生はレオパードロックと呼ばれる丘に登った。夜明け前、突然地平線に鋭い光が差した。「バカが、サーチライトを点けやがって……」と思ったが、正体は金星。そして夜明け。朝日に染まるアフリカの大地。彼方にはキリマンジャロ。この光景を見たとき、心にゴウゴウと“悟り”が流れ込んできた。アフリカの大地も、満天の星も、真っ青な空も、360度に広がるすべてのものは自分が生まれる前からここにあり、自分が死んだあともあり続ける。地球と宇宙の圧倒的な存在感に比べたら、視聴率や人気、原稿料などで悩むなんてあまりにもちっぽけだ。これ以来怖いものがなくなり、首が飛ぼうが気にせずに作品を生み出せるようになったそうだ。

現在では国際規約で手に入らない隕石の破片や化石
アトリエには不思議なものがたくさん置かれていた。写真は隕石の破片。ほかにも三葉虫や魚の化石、恐竜の糞石……。これらはアフリカや南米を旅したときに手に入れたものがほとんど。現在では国際規約で手に入らないものも。「私は自由に世界を旅し、物体に手を触れ、税関を堂々と通過し持ち帰ることのできた最後の世代なのです」

 ほかにも時間を見つけては南太平洋やアマゾンの源流まで入り込み、ワニまで喰った。ときには嫌な思いをしたこともある。でもそこで引き下がらないのは、九州男児としての意地。

「ロシアでは大男の酔っ払いと格闘になったこともあります。足払いで倒してやったらそばにいたアラン・ドロンのような美男子が目に涙を浮かべながら『俺の国の男がみんなこんなやつだと思わないでくれ』と言ってね。大男も謝ってくれて最後は全員で乾杯ですよ。飛行機ではCAから人種差別を受けたこともあります。乗客全員の食事があるのに、私のぶんだけないと言う。頭に来たので英語でまくしたて、最後に『差別主義者か、てめえ!! 俺はサルじゃねえぞ。二度と俺のそばに寄るな!』と言ってやりましたよ。すると降りるときに機長さんがタラップまで飛び出してきて『嫌な思いをさせてすまない。二度とこんな目には合わせないから、また来たら俺の飛行機に乗ってくれ』と手を握り締めながら目に涙を浮かべて言ってくれました。なにかがあったときにすぐ引き下がるのではなく、言うべきことをきちんと言うのは大切ですよ。それさえできればどこにだって行くことができる。私は観光客が絶対に立ち寄らないような場所にもどんどん入っていきます。危険と言われているところでも意外に街の人は気さくだったりするものです」


男なら危険を顧みず
行動すべき時がある

「俺の旗のもとに俺は自由に生きる」
『俺の旗のもとに俺は自由に生きる』
これは自分自身の哲学

 少年時代や旅の話を聞きながら、ふと鉄郎やハーロックは先生の分身なのでは? と感じた。それを先生にぶつけてみると……。

「ハーロックの『俺の旗のもとに俺は自由に生きる』という志は私と同じです。人がなんと言おうと責任はすべて自分にある。いかなる運命が待っていようとも誰も恨まないというのもね。劇場版999でハーロックが『男なら危険を顧みず、死ぬと分かっていても行動しなければならないときがある』と言いますが、これは九州男児としての志。武士道ですね。武士道とは世界中の青年に共通する思いだと感じています。鉄郎は旅立ちの際、『二度と(地球に)帰らない』と言いますが、これは私が上京するときに母親に言った言葉です」

 最後に先生はこれからの地球を背負っていく世代にメッセージを寄せてくれた。

「若い人たちには『時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはいけない』という言葉を胸に刻んでほしいと思っています。自分で志を立てた以上、曲げずに貫く。それは人それぞれの運命でもあります。しかも自分がなさんとしたことの責任はすべて自分にある。誰のせいにもできません。この自覚をいつ何時でも持っていないと、いまは良くてもどこかで足元をすくわれてしまうでしょう。これは確信をもってお伝えできます。人のせいにしたり言いなりになったりせず、想像力と信念を持って取り組めば、自分自身を確立することは難しくないはずですよ。若者には時間という無限大の可能性が残っているのです! うらやましいなあ!!」


松本流休息のこだわり

松本零士

松本零士

漫画家

1938年1月25日、福岡県久留米市で生まれ、北九州市小倉で育つ。1953年(15歳)に『蜜蜂の冒険』でデビュー。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』などのSF作品が大ヒット。映画化された作品も多数。また日本漫画家協会著作権部部長、全国高等学校パソコンコンクール審査委員長、財団法人日本宇宙少年団理事長、宝塚大学教授、京都産業大学客員教授など数々の役職に就く。