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偉人に学ぶ

石橋湛山

石橋湛山 編
2012.02.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 石橋湛山編  戦前はジャーナリストとしてペンで帝国主義と闘い、戦後は総理大臣を経て、病をおして冷戦に風穴を開けた石橋湛山(たんざん)。その晩年の言葉。「理屈は我と氏とを疎隔し、同情は我と彼とを融合する大切な要件である。相手の立場に立って物事を考えてみる、ということである。これは、国と国とのつきあいでも例外ではない」。氏は人も国も相手の立場に立つことで上手くいくという強い志を、行動をもって示してきました。  1945年の終戦直後、民衆のあいだには深い喪失感が広がっていましたが、湛山は違いました。戦後すぐに『東洋経済新報』の特集記事で「日本の門出、前途はじつに洋々たり」と記しています。「これから日本は貿易立国として羽ばたける」と信じていたのです。その後、ジャーナリ... 続きを読む

山田方谷

山田方谷 編
2011.12.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 山田方谷編  備中松山藩の家老、山田方谷(ほうこく)は、日本の優れた思想家でもあり、実務家として偉業をなした人物です。勘定奉行の折りには、借金に苦しんでいた藩の財政再建に取り組み、新産業政策、藩札刷新などにより財政改革を成功させ、7年で10万両(現在の約600億円)もの借金を10万両の蓄財に変えるほどの手腕だったといいます。  彼は14歳で母を、15歳で父を亡くし、遺された弟たちを養うため、農業と菜種油の製造販売という家業に努めながら学業にも励み、篤学の名声を高めます。25歳で名字帯刀を許されると、藩校『有終館』会頭(教授)に就任。藩主・板倉勝静(かつきよ)の教育係となって指導者として台頭し、『閑谷学校』を再建します。明治時代には大久保利通からの入閣の誘いを断... 続きを読む

アブラハム・マズロー

アブラハム・マズロー 編
2011.11.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 アブラハム・マズロー編  今回はこれまでの事例でもたびたび引用したアメリカの心理学者、マズローを紹介します。彼は精神分析学や行動主義心理学などに対し、人は「潜在意識の意のままに動く手先」や「環境に反応して動く機械」ではなく、心や意思を持っていると主張しました。心の病的側面だけではない、自分らしさや、やりたいことなど強みを活かす自己実現の心理学を目指したのです。  そして提唱した説が、よく知られる『欲求5段階説』です。これは下位段階の欲求が満たされると次の欲求が顕在化するというもの。いまではマネジメント分野に活用され、モチベーションやリーダーシップを考える上で重要な概念となりました。  第1段階の生理欲求は、食事など最も基本的な欲求です。例えばユダヤ人精神科医... 続きを読む

伊達政宗

伊達政宗 編
2011.10.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 伊達政宗編  東北の雄、伊達政宗。戦闘時の装束は金色に輝く上弦の月の兜、漆黒の五枚胴具足の騎馬像で有名です。その派手さに目がいきがちですが、豊臣秀吉や徳川家康との駆け引きではいつも崖っぷち。あらゆる手段で国と民を守り抜くことが政宗の戦いでした。派手なパフォーマンスや巧みな外交交渉で、秀吉、家康ら天下人と駆け引きを繰り広げていく一方、新田開発や河川改修で仙台藩の経済力を発展させる、実のあるリーダーシップで、地元からだけでなく多くの人に愛されてきました。  幼少時、右目を失明し自信をなくしていた政宗に、教育係の虎哉宗乙(こさい そういつ)は歴史や故事を紐解き、唐末に独眼竜と呼ばれ中国全土に名をはせた黒甲冑の武将、李克用(りこくよう)を伝え「強く生きること」と心に火... 続きを読む

黒田官兵衛

黒田官兵衛 編
2011.09.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 黒田官兵衛編  戦国の三英傑がその才能を手放しで誉めたひとりの男。豊臣秀吉を支え、戦国最強のナンバー2と言われた黒田官兵衛です。戦国武将のなかでは玄人好みで、その魅力はリーダーを支える “先見性・洞察力” “知略・創造性” “忠義・潔癖”でしょう。  先見性・洞察力。1575年、長篠の戦を分析し、広く商人などから情報を集め、織田信長の将来性や力量を早くから見抜き、敵対関係を連携関係に転換します。小寺政職の家臣であった官兵衛は単身信長のもとに向かい、播磨の豪族の戦力の大小、毛利への忠誠心の強弱を正確に分析して見せます。信長は敵方からきた彼の意外な言動に驚き、その洞察力に感嘆しています。  知略・創造性。知略に長け、秀吉の快進撃を支えました。 「敵をすぐさま追... 続きを読む

西郷隆盛

西郷隆盛 編
2011.08.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 西郷隆盛編  “愛嬌のある豪傑”で、「大きさ、寛大な心」「天を敬い人を愛し、命も名声も官位も金もいらぬ、無私、謙虚な人」「覚悟の人」として万人から好かれた西郷隆盛。私生活を親しく見た人曰く、「一度も彼が下男を叱ったのを見たことがない。寝床のあげおろし、雨戸の開け閉て、身の回りのたいがいのことは自分で済ませた。人がしてくれる時は、少しも口を出さなかった。……無頓着とまったくの無邪気とは、子どものようであった」と。 大きさ。勝海舟の談話集『氷川清話』で、坂本竜馬曰く「われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る」。とらえどころなく大きな人物と評しています。  寛大な心。遺訓『西... 続きを読む

ビクトール・フランクル

ビクトール・フランクル 編
2011.07.20

歴史的偉人に学ぶ経営学 ビクトール・フランクル 編   現代人に潜む実存的空虚。それは「何不自由ない生活だが、何か満たされない、生き甲斐を感じられない心の状態」を指します。うつ病も無縁ではありません。ユダヤ人精神科医のビクトール・フランクルは、その原因に「人に役立ち喜ばれる意味や喜びの欠如」を求めました。解決には意味実現(※)を説いています。意味実現とは与えられた使命に意味を見出し実現すること。すなわち「人は、人生から生きる意味を問われ続け、人の役に立てる喜びを見出すようにプログラムされている」と彼は言います。彼がナチスのユダヤ人迫害によって収監された強制収容所で生き延びる意味は、当時の体験を綴った著書『夜と霧』などを世に問うこと、そして囚人の相談に乗り生きる意味を見出す手助けをするこ... 続きを読む

勝 海舟

勝 海舟 編
2011.06.24

歴史的偉人に学ぶ経営学 勝 海舟 編   江戸っ子らしい「べらんめえ」調の気風よい口調でならした勝海舟。最後の言葉は「コレデオシマイ」。このように死の床まで洒脱でウィットにあふれ、一見、弁舌ストレートでドライですが、じつは、情・義理に厚いところがあったのです。  勝は肝が据わり、平時よりも、非常時や危機に強いリーダーと言えます。胆力に加え、開明思想、本音で生き、私心なく権力闘争や利害関係とも無縁に生きたことから、多くの味方と敵を作ります。やくざから将軍までが頼り、西郷隆盛も惚れ込みます。佐久間象山は義理の弟になり、その思想に坂本竜馬も惚れ、弟子入りするくだりは有名です。  胆力。勝は徒党を組まず我が道を行きます。第二次長州征伐の和平交渉、江戸城無血開城の際も単身敵地に乗り込み交渉し... 続きを読む

川原俊夫

川原俊夫 編
2011.06.09

歴史的偉人に学ぶ経営学 川原俊夫 編   博多の定番の名品、辛子明太子の生みの親、川原俊夫氏。氏が辛子明太子の開発を選んだのには訳がありました。沖縄戦で生き残り、「無念にも死んでいった戦友のためにも、人のために生きる」と決めた氏は、戦後で食糧事情が悪いことから、博多・中洲で乾物屋を営みます。そしてそこから、だれでもおいしく食べられる「人のためになるもの」を作ることを目指しました。みんなを喜ばせるためには、だれかを犠牲にしてはいけない。競合しだれかが損をしてしまうのを避けるためオリジナルの商品にこだわり、朝鮮で昔食べた「キムチの中に入ったタラコ」からヒントを得て試作をはじめます。  氏は地域活動やPTAを通して明太子の試作品を振る舞いました。そのコメントを参考に改善を続け、ついに商品化... 続きを読む

松下幸之助

松下幸之助 編
2011.05.25

歴史的偉人に学ぶ経営学 松下幸之助 編   松下幸之助翁が遺した名言やエピソードには多くのヒントがちりばめられています。 「長所を見る力七:欠点を見る力三」。根底にあるのは、愛情を持って「見る」こと。とくに、良いところを見ることについて強く意識されていました。そのために必要なのは、目線を下げること。翁は目線低く、つねに相手の目線に立ち、存在承認と成長承認(※)をしていました。 「頼もしく思って人を使う」。翁は小学校を途中で辞めたために、周りの人が自分より優れて見える、という趣旨で遺しています。人の良いところが見えるから、人に任せる。任された人はそれを意気に感じ、一生懸命に取り組んだのです。  任せる際には、手の届きそうなゴール「ストレッチ目標」と、コミットメン... 続きを読む

ジョン万次郎

ジョン万次郎 編
2011.05.25

歴史的偉人に学ぶ経営学 ジョン万次郎 編   遭難していたところを助けられ、その後アメリカ・フェアヘーブンに着いたジョン万次郎は、学校、地域、教会をとおしてアメリカの生活や友人との関係に適応し、鯨漁師として自立し、成長していきます。その好奇心の強さ、一生懸命さが周囲の人たちの心を惹きつけ、彼の周りには支援者が次第に増えていきました。  なかでも、万次郎たちを助けたホイットフィールド船長は万次郎を実の子どものようにかわいがり、学校にも行かせました。自ら捕鯨船に乗り込んで航海術を実践で学んだ万次郎は、ホイットフィールド船長への報恩の気持ちから、日本国を開くことで、「アメリカの船乗りたちが遭難したときや食料不足のときなどに保護されるように」と、母への思いと合わせて、帰国の計画を... 続きを読む

蓮如

蓮如 編
2011.03.12

歴史的偉人に学ぶ経営学 蓮如 編   わずか10年の間に約10万人に布教したと言われる蓮如上人(れんにょしょうにん)。布教の原動力は、その人間臭さゆえに誰からも愛された人間的魅力と、「難しい教義を物語でやさしく、深く、おもしろく」心に染み入らせた「御文(おふみ)」によるものと推察されます。 蓮如は布教の方法として「御文」を使いました。これは、教義を消息(手紙)のかたちで分かりやすく、かな混じりの文章で説いたものです。「御文」は門徒たちによって書き写され、口伝も手伝って人から人、村から村へと広まりました。仏法をわかりやすく物語風にして残し、浄土真宗布教のカギとなりました。  「人はみな、仏の前で平等である」と説く蓮如は、リーダーとしてもその目線で取り組みました。教えを... 続きを読む

大黒屋光太夫

大黒屋光太夫 編
2011.02.21

歴史的偉人に学ぶ経営学 大黒屋光太夫 編  大黒屋光太夫は、リアリストだが心温かい逆境型リーダーでした。異国の地に漂流し、言葉がわからないところからスタートした光太夫でしたが、乗組員の「日本に帰りたい」という言葉で「覚悟のスイッチ」が入りました。  光太夫は、ロシア人がしきりに言っていた、「それは何か」という意味の「エトチョワ」を使い、ロシア語を書き留めて習得しました。「知り、行動する」ことが、「生きる」ための条件であると知っていたからです。乗組員には「人に葬式を出してもらうなどと、甘いことを考えるな。死んだ奴は、雪の上か凍土の上にすてて行く以外仕方ねえ。……人のことなど構っててみろ、自分のほうが死んでしまう」「自分のものは自分で守れ。……自分の生命も自分で守るんだ」と、... 続きを読む

上杉鷹山

上杉鷹山 編
2011.01.12

歴史的偉人に学ぶ経営学 上杉鷹山 編  上杉鷹山公はメッセージの達人であり、多くの名言を残しています。J・F・ケネディーも尊敬していた公のリーダーシップは、失われた10年と言われた1995~2004年ごろの厳しい不況の下、その時代背景や状況に合致するものとして再認識されました。 「してみせて 言って聞かせて させてみる」。この名言の特長は「してみせる」ところです。言葉で伝えるよりも背中で見せたほうが、「イメージの力」でよりリアリティをもって伝わります。  モチベーションで大切なのは、「自己決定」と「覚悟」です。チャレンジ精神の名言「なせばなる なさねばならぬ 何事もならぬは人の なさぬなりけり」にもあるとおり、失敗を恐れて踏み出さず、取り組まなければ、何事も成就しま... 続きを読む

三国志・特別編

三国志・特別編
2010.12.12

歴史的偉人に学ぶ経営学 三国志・特別編 「曹操孟徳」タイプ  三国志のなかで描かれる魏のリーダー、曹操孟徳の活躍を見ると、「版図の拡大=仕事の成果」としていた「理と利」のリーダーだったことがわかります。筆者は彼を「成果型リーダー」と呼んでいます。  曹操の論功行賞の与え方について「魏書」武帝紀では「勲労、賞すべきには千金を惜しまず、功なくして施しを望むには、分毫も与えず」と示されています。賞を与えるときは千金も惜しまないが、功績もないのに賞与を欲しがる者には一銭たりとも与えなかった、という曹操の「理と利」の功利主義がうかがえます。  出陣したときに兵糧が足りなくなり、兵糧係の「小ぶりの枡で支給すれば、なんとかしのげます」という提案を聞いた曹操は、そ... 続きを読む

吉田松陰

吉田松陰 編
2010.11.23

歴史的偉人に学ぶ経営学 吉田松陰 編  わずか1年あまりの活動だった松下村塾から、明治維新を成し遂げた高杉晋作、伊藤博文などの人材を数多く輩出した吉田松陰。その秘訣は、「良いところを見抜き、認め、伸ばす」承認力、そして、覚悟と行動力だと察します。  承認で基本となるのは“存在承認”。見守る、声をかける、名前を呼ぶことなどがこれにあたります。居場所がある、ここでチャレンジしていいんだと感じられると、人は力を引き出されます。厳しくても温かいリーダーの目に、部下は、安心してチャレンジできる見守られた職場だと感じます。これを“安全地帯”と呼びます。  松陰は、欠点を指摘するときでも、まず塾生の優れた点を必ずいくつもあげ、心から褒めました。「人は、頭が良かったり悪かったり、す... 続きを読む

坂本竜馬

坂本龍馬 編
2010.10.23

歴史的偉人に学ぶ経営学 坂本龍馬 編  リーダーの大切な仕事のひとつが、「場作り」。どんな挑戦をしても、リーダーが守ってくれるから大丈夫という“場”の雰囲気が、部下の成長へとつながります。つまり、「安全地帯」を作る必要があるのです。  坂本竜馬は、人と人とが心を通わせるための「場作り」「引き出し」を身につけていたようです。例えば、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の中で表現されている、福井藩主・松平春嶽への金策や薩長同盟を成功させたのは、その好例です。  竜馬は、神戸海軍塾練習船の購入資金を得るための出資を、春嶽公にお願いしました。謁見の間に通され、初めて公と竜馬が対面しますが、竜馬は平然としていました。「多くの者は、私の前でものおじて卑屈になるか、多弁になるかだ。竜馬、お前... 続きを読む